とある日の妄想

- 記憶の片隅 -

何気ない日常にふと思いついた世迷言をつづるブログ

 

rss

■携帯版はこちら
http://blog.toaruhi.net/m/

携帯サイトQRコード

ブログ内検索

キーワード

 

※検索エンジンで検索した情報が見当たらない場合にご利用ください。

新着記事

カテゴリ一覧

外部リンク

作者について

全7件中1〜7件を表示
2005年06月24日(金)
高橋名人
記憶の片隅
この名をしらない人間はモグリであるといえるだろう。
TVゲームの普及期にハレー彗星のごとくに現れ。
そして、少年たちの心をわしづかみにした。
高邁にして神秘なる存在、それが「高橋名人」である。

代名詞ともいえる「16連射」に当時の少年たちの心は踊った。
1秒間に16回、Aボタン(またはBボタン)を押すという才だ。

それがいったい何の役に立つのか。

いうまでもあるまい。

ラザロが倒せるのである。

ラザロ。
この名を知らない人間は相当モグリであるといえるだろう。
通常の人間であればジョイボールが無ければ倒せない(こともない)強敵だ。
片面に弾を集中させるなどという卑怯な技は禁止なのはいうまでもない。

こいつが倒せないとどうなるか。
80000点、取り損なうのである。
100点を争うキャラバンでは致命傷だ。

そのために編み出されたのが16連射。
おそらく、滝に打たれたり鉛の弾をぶん投げたりして修行したのだろう。

少なくとも、俺はそう信じている。
少年たちのヒーローはそういうキャラでなければならない。

そんな高橋名人のライバルとして現れたのが毛利名人。
なぜか「14連射」という微妙な看板をひっさげていた。
負けてんじゃん。
いきなり。

しかし、キャラ的にはかなりいいものを持っていた。
高橋名人と対決するあたり、なかなか熱い。

ヒーロー高橋、その前に立ちはだかるショッカー毛利。
少年たちの羨望の的の役割は十二分に果たしていたといえるだろう。 

ただ、高橋名人との対戦ビデオの彼のコメント。


「高橋さんは僕にとって大きな壁でした。
この戦いに勝って僕が頂点に立ちたいですね」


【参考】
a Black Leaf
GAMEKING 高橋名人VS毛利名人 (後編)


これは若干わかってない。
少年たちのヒーローのライバルはこうコメントするものだ。

「フッ…高橋!貴様ははいつくばるのだ。この私の前にな…」
もちろんズビシと指を突きつけて。

☆参考データ
高橋名人便り
GAMEKING 高橋名人VS毛利名人
ジョイボール を斬る!!"
※俺は普通のコントローラーのように手に持ってやってた。


コメント(0) トラックバック(0)
2005年06月18日(土)
真空なる世界
記憶の片隅
むかし、5050STREETとは別に1つサイトを運営していた。
データ置き場として確保したフリーサーバに、適当なコンテンツをのせて。
ラクガキを掲載したり。
駄文や雑記を掲載したり。
詩を掲載したり。

確か小説サイトにしよっかなーとか思ってたはずだったんだけど。
いつのまにやら詩の投稿・掲載がメインな感じになっていた。
結局1〜2年ほどでひどく過疎ったので閉鎖。

その頃書いた日記やラクガキや詩を読むとまぁまぁ赤面できる。
他の人が投稿してくれた詩とかはさておき自分のやつがやばい。
日記に至っては危険すぎてローカルディスクから消した方がいいかとか。
でも、なんとなく、消せない。
過疎サイトで人目を気にしてない分、自分らしさがにじんでたんだよな。

ああ、またあーいう遊びをしたいなと思う。


コメント(0) トラックバック(0)
2004年08月14日(土)
家族の無い世界
記憶の片隅
「あなたしかいない…永遠に」
なんてことが、本当にあり得るのか。
俺が思うに、一人の相手だけが許容される仕組みが無理があると思う。
少なくとも、俺はいろんな相手を好きになれそうだ。
自由に誰とでも恋愛をし、子供を作れる制度の方が本質的かもしれない。
そうなると、「家族制」そのものに無理が生じる。

親による育児を廃止すれば、この問題は解決しそうだ。
子供は生まれた瞬間から、親の手を離れ、専門の養育機関で育てられる。
もちろんこの機関は、国家機関だ。
親の義務は、預けた子供の養育費の納入のみにとどまる。
この義務を果たした場合は、必要に応じて、老後に介護を受ける権利を取得する。
介護者は、専門の施設に属するスタッフ。老後の心配はこれでクリアする。

親子関係(家族)という属性を断ち切り、国と個人という関係に転換するわけだ。
男女は、いつでも、誰とでも、好きなように恋愛をし、子供を作ることができる。
経済力の範囲内という制約はつくけれども。
親は子供に再びあうことは無い。命名も国によって行われる。

子供たちは、18歳で独立し、成人としての権利を付与される。
親の養育費負担はここまでで、子供は晴れて養育機関を去ることになる。

大学、専門学校等に行く場合の費用はどうするか。
これは、18までの教育での、成果に応じて支払われる報償金によってまかなう。
この報奨金は非常に大きく、成果によっては数億の報奨金を得ることもある。
このお金は、国庫から捻出される。

この制度では、相続は発生しない。
あるのは贈与だけである。
持ち主の無くなった私有財産は国によって管理・処分される。

こんな世界はどうなんだろう。
淋しくて死ぬ人が増えそうだな…。
だめじゃん…。

コメント(0) トラックバック(0)
2004年07月20日(火)
ブルマ→短パンとかけて少子化と解く
記憶の片隅
はみ出す恐れ減少

手入れをしない女子急増

ジャングル化

それを見てなえる

やる気を失う

少子化

少子化の原因は、ブルマが短パンに変わったことにも一因がある。
神経質な大学時代の先輩の話より妄想。

(現実性:7%)

コメント(0) トラックバック(0)
2004年06月07日(月)
小説サイト
記憶の片隅
いまから2〜3年前、小説サイトを作ろうとしたことがあった。
でも、なんかいまいち盛り上がらず(自分的に)、1年くらいで閉鎖。
小説など一行もない、なにがなんだかわからんページだったな。

最近もう一回、テキストサイトがやってみたくなってる。
ていうか、数サイトを同時に管理してみたい。
別々のHNで、全然つながりを持たない感じで。
もちろん時間は全然ないんだけど…。

そういえば、このサーバの継続確認メールが来てたな〜。
わりと使いやすいから、来年も継続しようっと。

コメント(0) トラックバック(0)
2004年02月04日(水)
大学時代(1)〜メタラー=ロン毛
記憶の片隅
大学3年の春まで、俺の髪の毛は相当長かった。
一番長かったときで、腰に届きそうなくらいあった。
なぜそんなにのばしていたのか…。
なかなか乾かないし、むさ苦しいし、いいことないじゃないか。

当時俺はヘヴィーメタル/ハードロックにかぶれていた。
大学の先輩の言を借りると、こういうやつをメタラーと呼ぶらしい。
まだヘヴィメタバンドのメンバーがのばしたい放題だった時代だ。
エディ・ヴァンヘイレンが切ったらみんなこぞって切りだしたっけ。

髪を伸ばしていた理由はもう一つある。
中学、高校の校則が、厳しかったのだ。
中学時代は坊主、高校時代は刈り上げ。
伸ばしてみたい…。卒業したら絶対伸ばしてやる。
そんな心理が芽生え、育つのも無理からぬことだ。

しかし、残念ながら俺は伸ばす才能が無かったらしい。
くせ毛だったのだ。
ある程度のびたところで、ひどくもじゃもじゃになった。
大学1年の最初の頃は、特にひどかった。

サンタナ。
サークルでの初ライブの写真に寄せられた評だ。
評というか、誰かが勝手にその写真に書き込んでいたのだが。
サンタナはよく知らないが、確かにサンタナっぽい。
それくらいもじゃもじゃだったように思う。

おかしい、こんなはずでは…。
悩む俺に、バンドメンバーで友人のはまじ氏が
「縮毛矯正行ったら?」
とさりげなくアドヴァイスをくれた。
聞けば、はまじ氏もくせ毛だったらしい。
それが、数万円でさらさらストレートになったというのだ。
俺はさっそく、美容院に行ってみた。

次の日から、俺は生まれ変わった。
指がするりと抜けるさらさらヘアーになったのだ。
女の子たちの評判もまずまずだったと思う。
この場をかりてはまじ氏に感謝したい。

今思えば、むしろ床屋に行けと言って欲しかったかもしれない。
しかし残念ながら、はまじ氏もメタラーだったのだ…。

コメント(0) トラックバック(0)
2004年02月02日(月)
高校時代(1)〜英語の教材を売りにきたセールスマン
記憶の片隅
高校に入ったばかりの頃、俺は相当英語が苦手だった。
授業を聞いててもさっぱり。
勉強する気もなかった。

そんなある日、うちに教材のセールスマンが来た。
40〜50くらいのさえないおっさんだったと思う。
おっさんが売り込もうとしていたのは30万もするセット。
英語と国語の教材をまとめたものだった。
母は買おうとしていたが、俺は無駄だと思い反対した。
するとセールスマンは5分だけ、俺と話がしたいと申し出た。

そのとき俺は風邪をひいて熱をだしており、ひどくわずらわしいな、と思ったが、セールスマンに押し負けて話を聞くことになってしまった。

セールスマンは教材の1ページを開いてみせる。
やむをえず、ぼーっとしたまま耳を傾ける。
ほんの簡単な問題の1つを、俺に解説した。
たったそれだけのことだった。

いまでもとても不思議なことなのだけど、大げさにいうのではなく、その一瞬は俺の人生に非常に大きな影響を与えることになった。

セールスマンの行った簡単なレクチャーは、俺の中にするりと入り込んで、「解る」ことの面白さにかわった。興味をもつきっかけとなったのだ。どんな教師の冗長な英語の授業も、あの一瞬のような衝撃はなかったし、 むしろ退屈なだけだった。

大切なのは100万の無駄な言葉ではなく、1つの自分にとって必要な言葉なんだ、ということだろう。

結局30万の教材を買って、それ以来そのセールスマンにはあっていないのだけど、今でもあのときの不思議な感覚は忘れられない。
英語の成績は、それ以降、目に見えてあがっていった。

熱をだしてぼーっとしてたのがかえって良かったかもしれないけど…。
俺の高校生活最高の恩師は、あのセールスマンってことになるかな。

コメント(0) トラックバック(0)






テクノラティお気に入りに追加する